2003年11月20日第11回 《ああ、なつかしの栗おこわ》 by kakuzo 【日暮描蔵の厄落としの書き下ろし】実入りの遅かった田んぼを毒々しいほどの朱で染めた彼岸花、その赤と競うように色とりどりのコスモスが咲きそろい、いやー、秋も本番だーと高くなった大空を眺めていると、青天の霹靂か鬼の霍乱・・・鬼の編集長が入院するという緊急事態。「すわ、一大事」と駆けつけるはずだったんだけど・・・ま、食べ過ぎくらいならいいか(じゃないって)・・・編集長が2日はずしたんで(鬼のいぬまにではないが)すっかり締め切りを過ぎてしまった。 秋の本番を楽しむ余裕もなく秋のイベントも、もう終盤を迎えている。山はすっかり紅葉モード。だけど天候のせいか、今年の紅葉はなんかボーっとしている。岩肌に張り付くように伸びるカエデやモミジも色づいているものの迫力に欠ける。それでもボーっと眺める空は、やっぱり秋のもの。天高く馬肥ゆる秋、昼間の高―い空もいいが、澄み切った秋の夜空にキラめく星たちを飽きるまで見つめるのも、この世に生まれた特権。幾億光年、太古の光が自分だけに降り注ぐ。この光のキラめきに比べると人の一生なんて、ほんとに瞬きでしかない。最近の寒さのせいか、身じろぎもせず夜空を見つめることも少なくなったが、思い出すのは庭に布団を持ち出して姉と二人で見つめた月蝕。初めての天体ショーはからだも心もドキドキの連続だった(ような気がする)。さすがに布団まで持ち出して空を眺める純真さと心の余裕はなくなったが、宇宙に輝く星々がどんなドラマを繰り広げているかと考えるとワクワクする。いくら「ブロードバンド生活」が快適で、遠くが近くになろうと(?)心に触れる感激は機械を通じては得られない。 秋といえば月並みだが、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋・・・別に秋に限ったことでもないけれど、それにつけて何かを始めるのにはいいフレーズなのかもしれない。親父と話をせずに暇を見つけてはずっと本を読みつづけている娘。きっと頭の中にはへんな音楽にうつつを抜かす親父は姿を消し、小説の中の情景が浮かんでいるに違いない。えーい、親父も負けずに変な曲の風景が見えるスピーカーを仕入れてやる。で、家族に内緒で買ったスピーカー、小さいのにとてもいい音がする。まさに音の風景が見えるってやつ。秋の景色が身体に染み入る。 編集長の入院のついでで申し訳ないが、生まれてこの方、実に42年間、入院はもちろん大きなケガも、はやりの病にもほとんどかかっていない。今子供の学校で流行っている"おたふく風邪"も"水ぼうそう"さえかかっていない。「心配しなくったって、もう何時かかっても大丈夫でしょ」???守護神が強いのか、人と触れ合う機会が少なかったのかはいざ知らず、こんなに不条理な生活を続けていて、運がいいとしか言いようがない。 病気やケガで入院されている方には本当に申し訳ないが、入院生活には一種のあこがれがある。日ごろかけられない優しい言葉で癒され、キレイな看護婦さんにいたわってもらったり、多分妄想ばかりだけれど痛さや退屈さよりも不思議な興味で一杯である。「あっ、あなたは多分全身アルコール消毒だから、一生大丈夫よ!」《栗おこわ》タイトルは何だったのかは次回のお楽しみ。夢も希望も、星の瞬きとともに秋の大空へ・・・ |
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